【映画】「ロープ」
アルフレッド・ヒッチコック監督の「ロープ」(原題:Rope, 1948)のご紹介です。
あらすじ
ブランドン(ジョン・ドール)とフィリップ(ファーリー・グレンジャー)はパーティ開催の直前に、アパートの一室で友人のデイヴィッドを殺害する。
無能はいなくなるべきという考えの下、有能が無能のデイヴィッドを完全犯罪により殺害し、有能を証明するためである。
ブランドンはデイヴィッドを壊れた鍵付きのチェストに隠し、それを食卓代わりにしてスリルを味わおうとする。
パーティは開かれるが、参加者で2人の大学教授であるルバート(ジェームズ・スチュワート)が何かに気付いたように意味深な質問を投げかけてジワジワと2人を追い詰める。
感想
普通のサスペンスと違うところ3点
一点目は、観客側は完全犯罪を企む殺人犯の立場に立つこと。
立場が変わると映し方も変わります。
普通なら犯人を探すストーリーなので探偵的な役割を担う人を中心に映されますが、今回は犯人が分かっているのでその必要はありません。
そういうわけで、チェストが開けられる危機があるときは会話している人たちはフレームの外に存在して、チェストを重点的に映すという描写もありました。
犯人にとってはチェストが開けられないかハラハラドキドキで会話なんて耳半分という犯人の心の状態が表現されているようでした。
二点目は、全てがワンショットで繋がっているように見せていること。
ショットの切り替えは、登場人物の背中を映したときがほとんどのようでした。
切り替わっているとはいえ、それぞれのショットは長く、劇を見ているようでもあります。
ワンショットが長い分演技力がものをいうので、殺人を取り繕うブランドンとフィリップの演技に注目です。
三点目は、舞台がアパートの一部屋のみということ。
以前記事を書いた裏窓は、アパートの一室から周りの全部屋を覗き見るというものでしたが、それと比べてもだいぶ範囲は狭いです。
さらに言えば、アパートの一室のチェストがある部屋が中心となり他の部屋もほとんど映されません。
この一室だけで起きるサスペンスを90分ほどで短すぎず長すぎずで時間も場所もみっちり収まっております。
段々と崩れる演技
ブランドンとフィリップが何も企んで無いことを装う映画の中での演技についてですが、追い詰められるに従って段々と言動がおかしくなってしまうんですね。
彼らにとっては普通のつもりなんでしょうけど、明らかにおかしい。
いつも通りのように不自然さを無くそうと演じつつ、それがいつも通りではないと気付くのは難しいことなのだなあと思い知らされます。