スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(原題:Full Metal Jacket, 1987)のご紹介です。
あらすじ
舞台はベトナム戦争時のアメリカとベトナム。海兵隊の訓練プログラムに参加したジョーカー(マシュー・モディーン)やレナード(ヴィンセント・ドノフリオ)らは、ハートマン教官(R・リー・アーメイ)から罵倒を浴びせられながら地獄の訓練生活を味わいます。
レナードは不器用でジョーカーから手助けを受けながら訓練の日をつなぎます。それでも余りある不器用さで連帯責任により他の訓練生から恨みを買い始めますが、ある出来事をきっかけに黙々と訓練に打ち込み優秀な兵士として完成しかけます。
しかし、訓練が終わりかけた頃に……。
解説
製作費
フルメタル・ジャケットは16 milドルの制作費がかかったとされています。制作に2年ほどかかっており、その当時1985年のレートを考えると38億円ぐらいかかっています。このコストについていくつかご紹介します。
撮影地の選定
映画はベトナム戦争を描いているにも関わらず、実際の撮影はベトナムではなく、主にイギリスで行われました。スタンリー・キューブリック監督は飛行機が苦手であったため、外国での撮影を避け、自宅に近いイギリスでの撮影を選んだとされています。イギリスのいくつかの場所がベトナムの戦場として再現されましたが、この決定は、遠隔地での撮影に比べてコスト削減につながった可能性があります。
セットの建設
キューブリックは非常に詳細にこだわる監督であり、映画のセットを完璧に再現するためにはかなりの予算が割り当てられました。例えば、撮影に使用されたガス工場は、ベトナムの都市風景を再現するために大幅に改造されました。これは、制作費の大部分を占めた可能性があります。
長期間にわたる撮影
映画の制作は非常に時間がかかり、撮影期間は約2年に及びました。キューブリックの完璧主義的なアプローチと、彼が望むショットを得るまでの繰り返しの撮影は、予算の増加に寄与したと考えられます。
キューブリックのこだわり
キューブリックは細部にこだわることで知られており、特に照明や撮影のアングルについては時間をかけていました。このような細かな作業は、予算と時間の両方を要求するものでした。
総じて、映画「フルメタル・ジャケット」の制作費は、キューブリックの独特な制作スタイルと完璧主義に大きく影響されていたと言えます。しかし、具体的な数字や秘話は一般にはあまり知られていないため、制作費に関する詳細な情報は公開されている限られた情報に基づいています。
ハートマン軍曹
フルメタル・ジャケットにおいて、ハートマン軍曹を演じたR・リー・アーメイは、実生活で元海兵隊教官という経験を持っていました。彼の演技は、映画の前半部分で特に際立っています。映画で見せる彼の悪態や罵詈雑言は、観客にとって人生で最も長く、そして最も汚い言葉を聞く時間となります。ですが、彼の口からスラスラと飛び出す汚い言葉は、その流暢さからある種心地よいとさえも感じられます。アーメイが実際の教官として培った罵倒スキルは並外れたもので、その演技は演技を超えたものを感じさせました。
この点について、スタンリー・キューブリック監督自身もアーメイの教官としての演技力を高く評価しており、「天才」と述べています*1。キューブリックはアーメイの演技によって、映画がそのリアリズムと強烈な印象を持つことができたと感じていたようです。アーメイの存在なくして「フルメタル・ジャケット」は完成しなかったと思います。彼の実体験に基づく演技は、映画において不可欠な要素で、私も(誰しもが)深く印象に残りました。アーメイのハートマン軍曹は、映画史における最も記憶に残るキャラクターの一つといえると思います。
人間の二面性
ジョーカーは後半、"Born to kill."と書かれた帽子を被りながら平和を表すバッジを付けています。これをある上官から指摘され、以下のように回答します。
I think I was trying to suggest something about the duality of man, sir. The duality of man, the Jungian things, sir.
ジョーカーの回答に上官が理解できないという笑える点は置いて、殺すために生まれながら平和を望むという人間の二面性という一つのテーマが登場します。映画全体としてそれが一つのテーマではないかなあと解釈しました。
例えば、訓練プログラムでレナードが豹変します。単純ですが、これも二面性の表れです。
輸送ヘリで狂ったようにベトナム人に向かって機銃を撃ちまくる兵士も、普段は控えている人間の残虐性が露わになった場面でしょう。
また、女性はいずれも名前がなく3回ほどしか登場しませんが、2人は娼婦(セックス)という生の象徴として、1人は兵士という死の象徴として、女性という一つのカテゴリの中で二面性を表現しています。
ミッキーマウスマーチを歌うところもまさしくそれですね。ミッキーマウスマーチってすごい平和的な印象ありますよね。戦争と真逆な概念を置いているわけです。ついでに、アメリカの戦争に対する楽観的な態度に対する皮肉も込められています。
他にも一般人からすると狂った言動をする兵士が登場しますが、戦争によって人間の二面性が飛び出してしまったことを表現しているのではと思いました。
監督も以下のように言及しています。*2
I think it tries to give a sense of the war and the people, and how it affected them.
同監督の「地獄の黙示録」でも同じような趣旨を感じました。
終わりに
戦争映画はあまり見ていて心地良いものではないですが、戦争の現実を戦争を知らない人が理解する上で(知らないのに理解と言うのも滑稽ですが)本作の戦争に影響を受ける人々のリアルな心理描写が有用だと思います。
以上読んでいただきありがとうございました。